
わたしは、難病患者という貧困層の人間です。
経済的に困窮した社会的弱者を顧客として利益を上げる事業行為を貧困ビジネスと定義することから※、社会課題の顕在化のみをし、解決を目的としない患者組織を作るのであれば、それは、貧困ビジネスではないかと考えて、悩んでしまっています。
現時点では、私たちは神経難病患者から脱却できない。だから、社会問題(地球的課題)の解決をめざした社会変革を通じた社会貢献と企業の利益を両立させることを目的とした「社会企業」は現時点ではありえないのかもしれません。
わたしが悩んでいるのは、患者が代表になったとしても、解決がないのなら、「貧困層の人間による貧困層のための貧困ビジネス」です。解決策がないところで、疾患啓発のみを行う事業スタイルのことなのです。社会的弱者がこんなにいるんだよ、というアピールだけすることがむなしく思えてきてしまうのです。
そのアピールを強制させようとする人たちもいる。他人から強いられるシステムが、私にとっては「非人間的なありかたを貧困層である当事者たちに強いる」と感じる。さらには、それに対して対価もない(ボランティアという意味です)。タダ働きで、自分のみじめなところを見せなくてはならないということに、ものすごく抵抗を感じます。
ただ、それを嫌がるわたしが貧困ビジネスになっていないのかと言われると、Noとは言えない。解決策がないのに、MJFのことを紹介したり、他の患者アドボケートのことを紹介していたりしてしまっています。
今、わたしは、苦し紛れに言っているかもしれませんけど、患者を「病気の専門家」として扱うことはできませんか?
そして、「病気を終わらせる」ことを目的として、疾患啓発のみに終わる貧困ビジネスではないところに向かっていきたいと思いました。
MJFやPD Avengersのメンバーたちもみんな、「病気を終わらせる」ために活動しています。
以下は、Wikipediaに書いてあることですが、「社会企業」も、都合がいい言い方なのかもしれません。
わたしは、いつも、ジレンマ、トリレンマ、テトラレンマ(以下省略)に引っかかって、「進まない」と言われ、これも「Agileに、貧困ビジネスから始めてもいいのでは?」許容者論者との議論の中で、「上から目線だ」と言われて落とし込まれたりされたり、「自己責任」とか言われています。
しかしながら、こうやって、関係者とお互いに高みを目指しているのだろうと思います。
わたしは、実は、MBAの良くおっしゃる「学び」という言葉も「気づき」ということばも大っ嫌いです。これで、喧嘩になるんでしょうけど。
学んだだけで満足ではなくて、「病気を終わらせる」ことを目標にしていきたいと、再度言いたいです。
だけど、彼らは、「行動することが大事」とも言います。これは、わかるのです。
これに対して、動けない自分が、また嫌になったりしています。
そろそろ仲間が欲しいころなのですが、まだまだひとりの旅を強いられそうですわね。妥協できない私も悪いのでしょうし、仲間と言いつつ、協力を拒む人たちもいて。
たぶん、ひとりの段階で終わってしまいそうですよ。
「貧困ビジネス」の概念は、「問題がビジネスモデルそれ自体にあるということ」を指し示すためにつくられた。それらのビジネスモデルが問題なのは、違法行為であるからだけではなく、そのシステムが非人間的なありかたを貧困層である当事者たちに強いるからであるという。
貧困ビジネスを行う企業や団体の多くは「社会的企業」を装っているのが特徴的である。社会的企業は、社会問題(地球的課題)の解決をめざした社会変革を通じた社会貢献と企業の利益を両立させることを目的としている。しかし、貧困ビジネスは、「社会問題の解決」などではなく「社会問題の固定化」により利益を上げる、社会的企業の対極にある存在である[3]。
表:貧困当事者であるわたしの考える事業におけるスタイルの違い
社会的企業 | 貧困ビジネス | ボランティア 慈善事業 | |
目的 | 社会問題(地球的課題)の解決をめざした社会変革を通じた社会貢献と企業の利益を両立させることを目的 | 「社会問題の固定化」により利益を上げる | 社会的課題の解決 |
活動 | 有料のサービス提供活動 | 有料のサービス提供活動 | 有料のサービス提供活動 |
特徴 | 市場において充分な競争力を求められる為、成功した社会的企業においては、商品開発や商品・サービスの品質のレベルは高い。また企業からの人材の調達も活発である。 主な資金源が自らの事業である為、より柔軟でスピーディーな事業展開が可能である | 利益を獲る企業側のみに都合のよいビジネス・モデルが次々と創られる。 •不利益を被る側の無知その他の「知らない」ことにつけこむ。 o多くの場合、経済的貧困に基づく教育の欠如、セーフティーネットの運用をふくめた制度的欠陥や社会的排除・疎外などによる必要情報からの隔離が、「知らない」原因である。 | 社会的課題の解決を目的とする非営利の事業体 公的な補助金・助成金に大きく依存していた為、資金の出所である国や自治体、各種財団などの事業内容への介入が事業展開に様々な制約を与えていた場合も少なくない |
経営者 | 貧困層を使うことに抵抗感がある人 | 貧困層を利用できる人 | 非営利でも活動できる、恵まれた人 |
手段 | 病気を終わらせる | 疾患啓発どまり | 無償による奉仕や喜捨 |
貧困ビジネスという問題設定は、単なる当該ビジネスモデルの枠を超えて、行政責任の欠如、本来的な保障ラインの崩壊を焦点化させる。 本来的な保障ラインが崩壊していることが、貧困ビジネスを正当化し、あたかもビジネスを通じた社会貢献であるかのような装いを可能にさせる。貧困ビジネスは、ゼロより「一」がマシという理屈に立脚しているが、本来保障されるべきは「二」であり「三」であり「五」であって、またそれが保障されていれば、誰も貧困ビジネスなど利用しない。 o 貧困ビジネスは、公共部門からの行政の撤退あるいは元々の不在をその糧として成長しているが、それが貧困ビジネスも社会的に容認されるべきという理由にはならない。なぜなら、本来保障されるべき人間の生存権(居住の権利や労働者の権利など)は、「貧困ビジネス」の理屈で正当化されるレベルにはなく、より高いレベルにあるものだからだ。そういう意味でも、貧困ビジネスは、規制緩和を進める政府と明確な共犯関係にある。貧困ビジネス – Wikipedia