何だろうか。
真実を知ること。
新しい有用なものを作ること。
少なくとも、実績をつくるためのものではない。
でも、わたしは、実績と称号を持つことによって、皆さんに「真実を見つけに行こう」と言えるようになると考えた。

会社に雇用されている間は好きな研究ができない。新しい発見できる研究は楽しい。
しかしながら、それをできるようにするために称号をとる。その称号をもって、実績を得ていく。
そうして、この年になって、また研究の道に入ろうとしています。
この称号PhDをいただければ、E.T.な私が「信頼されるだろう」とも思ったからです。
ただ、やはり、「実績を得る」ことは、「真実を追求する」とは、まったく関係のない、場合によっては不純な理由であることには変わりません。
日本の患者さんの中では、「研究」が不人気です。
臨床研究であるならば、ここに参加してくださる被験者の皆さんから、貴重なデータをいただきますし、場合によっては侵襲性があることもあるのですから、被験者として参加してくださる方が一番の貢献者だと思います。しかし、この方々は、研究者としての実績が欲しいわけではないので、その権利を放棄してくださいます。
じゃあ、せめて、貢献していただけた方なので、お名前をだして、お礼を言いたい。
しかし、その場合、患者の個人情報保護には反するから、ということで、お名前を出さないことが多いです。
個人情報は、ぼちぼち、金銭的な価値を持ってきています。
それは、もうちょっと未来のことかもしれませんが、今でも頑張れば、お金に換えられるような仕組みにもできないことはなくて、
そのことを黙ったままで、患者の皆さんのデータを収集するのは、やはり良いことではないのではないか?と思います。
将来の可能性も説明しつくしたうえでデータの提供に同意いただきたいとおもっています。
ただし、お金が全くほしくないといえばうそになるし、研究者としての実績も欲しいです。
それを患者仲間である10歳上のKさんに、懺悔の気持ちを込めて言ってみました。
すると、
「どこがおかしいの?」だそうです。
Kさんは、体調を改善したいことはもちろんですが、「人に寄り添いたい」「生きている」と実感したいと思っていると思います。
その人にとっても価値観は本当にばらばらです。
でも、そういうことを開示するのは、「透明性」ということになるのかな。
鈴木さんは、根性あるから、何か残せると思う(byブッタブッタ)
いいねいいね: 1人
武田さん、ありがとうございます。
いいねいいね